22歳シングルマザーの雑記

本と育児とパニック障害について📝

ないものねだりは承認欲求の塊から来る?

最近、ふとした瞬間に自分って幸せなのかな?って思ってしまいます。

SNSで学生時代の友人が友達やパートナーと旅行へ行きお泊まりしていたり、結婚式を挙げていたり、海外へ留学していたり、、

みんなセルフプロデュース力っていうんですかね?そういう能力がものすごく長けているなって感じてしまいます。

子どもができたということが自分にとってはイレギュラーでライフプランだとまだまだ先のことになる予定でした。子どもができるなんて想像もしていなかったので社会で働いたこともなければお仕事で活かせるような資格も持っていません。誇れるものも何もありませんでした。

 

そんな状態だからこそ周りがとても輝いてみえて自分がだめなように感じてしまいます。

 

ないものねだりをしてしまう自分が本当に嫌い。だけど何かを変えるのも怖くて行動できない。

 

そんな想いが取り巻き、全てが悪循環になっています。

 


 

「自分がいなくなったところで世界は何も変わらないし誰も悲しまない」

 

この考えは中学生の頃から心に根付いてしまっていて変えられません。両親にさえこの気持ちを打ち明けたことはありません。彼らは私がこんなことを考えているなんてきっと知りません。

 

誰かに認めて欲しくてこのブログを始めました。

結局は承認欲求の塊なんですよね。

 


 

突然日常の中で今ここから飛び降りたらどうなるんだろうって考えてしまいます。

誰にも必要とされていないと感じているからなのでしょうか?

他にも同じような思いがしている方がいたら嬉しいと思い、少し重いですが今回の記事を書きました。

 

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パニック障害の苦悩と健康への願い

パニック障害であることの弊害は沢山ありますがその中でも少しショックだったことをお話します。

 

私が大学へ通っていた時のことです。

たまたま授業の空き時間に献血が大学で行われていることを知りました。

幼い頃から誰かの役に立つことを目標としていたのでこれはチャンスだ!と思い早速会場へと足を運びました。

会場では待合室があり、そこでは説明と薬を服用しているかどうかの確認が行われます。

その日、私は大学へ行くために電車に乗らなくてはいけなかったのですが軽く発作が起きてしまって薬を飲んでいたのです。

そのことを伝えると係の方が薬の辞典のようなものを取り出し、私が飲んだ薬の名前を調べました。

ここまで来たら分かると思いますが私が飲んだ薬では献血をすることはできませんでした。


 

 

この時改めて今の自分ではなんの役にも立たない、ということに気付かされるとともに人の役に立つことも簡単ではないんだと痛感しました。

献血はあくまでひとつの方法でしかありませんが必要としている人は少なくないはずです。

休日にはよく町中で献血の看板をみます。その度にいつになったら献血ができるのだろうと少ししょんぼりとしてしまいます。

献血ができるくらい健康にでいられるように頑張りたいと思います。

 

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パニック障害の発作と病院選び

パニック障害を持っている方、病院はどのような基準で選びましたか?

私は学生時代学校のカウンセリングで勧められたクリニックに行っているのですが待ち時間の方が長く、毎回薬を出してもらうだけのような感じなのです。

何を求めているのかと言われると特に求めることはないのですが薬をもらうだけなら初めから病院など行かなくてもよかったのではないかと思ってしまいます。

通い始めてから大きな発作を起こすことはなくなりましたが小さな発作はたまに出ます。

徐々に治って来てはいるのかもしれませんが実感がないというのが2年通った感想です。

薬の飲み始めは余計に発作のことを考えてしまい、病院に行き始める前よりも頻繁に発作が出ていました。

 


 

頻繁に発作が起きるという状態から考えると発作の頻度が落ちてよくなっているように感じますが本当によくなっているのかは分かりません。今の私の生活では発作が起きるような状況に身を置くことがほとんどないからなのです。

だからこそ発作が起きそうな場所に行った時に不安が強くなってしまったり実際に発作が起きてしまうのが現状です。

 

このような状況であることから病院を変えるべきなのか考えてしまうのですがみなさんはどんな基準で病院を選びましたか。

 

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常に眠たいパニック障害。明日も頑張ろう。

毎日子育てでドタバタなパニック障害持ちシングルマザーです。

 

元々音や匂いに敏感だった私、外に出ると道行く人々や車を目で追い、近づいてくる自転車や車の音に気を張り続けるのでとても疲れます。

これに重ねて子どもが夜に2、3時間ごとに起きるのでまとまった睡眠は1年近く取れてません⭐️

と言ってもコロナで自宅にこもるようになってから不眠が酷く寝つくのに1時間以上かかるのが日常でした。

パニックの薬を飲み始めてからは副作用で眠気が常にあってかなりしんどかったです。

2年以上続けているので流石に慣れますが飲み忘れると今度は離脱症状で目眩が出てくるのでまだまだ薬の生活は続きます。。

 

敬老の日の贈り物に!

 

 

最近災害が多いのでもし避難をしなければいかないとなった時に薬が足りるのかどうかとても心配です。

パニック以外の持病を持ってる方で薬を欠かせないという方も沢山いると思います。そのような方たちにいざという時は手を差し伸べることができればなと理想はあるのですがぱっと動くのってなかなか難しいですよね。

少し話が逸れましたが眠れない時にここに戻ってくるといろんな方のいろんなお話が見れるのであまり思い詰めることなく過ごすことができています🫶🏻

いつでもどこでも自分のことを知らない誰かと話している気分になれるのはとっても心地いいですね。


 

 

22歳、パニック障害でシングルマザーということでママ友はいませんしコミュ障なので学生時代の友人と連絡を取ることもありません。

このはてなブログというコミュニティが心地良すぎて友達ができたようでとても嬉しいです。

反応がもらえると明日からまた頑張ろうと思えるものです。

何の話だかわからなくなりましたがいつもご覧いただきありがとうございます。

また明日からもみんなで励まし合いながら頑張っていきましょう!

 


デザインあり。

パニック障害のきっかけ

パニック障害になったきっかけは何だろうと考えた時に絶対これだ!っていうものが思いつかないんですよね。

なんとなくこのあたりからそれっぽいのはあったなっていう感じなのです。

自分の事を知る意味でも書いていきたいと思います😎


 

 

1番の要因だと思うのが小学6年生の時、給食の時間に気分が悪くなり保健室で寝ていたのですがその時吐いてしまったんです。

吐いた後は気持ち悪さがなくなってケロッとしていたのを覚えています。

これだけ聞くと何ともなさそうだと思うのですがその日以降、給食の時間に恐怖を感じるようになりました。「また吐いたらどうしよう」そんな気持ちが出て来て今考えるとこれが不安症の原因なんだろうなと思います。

この給食の時にパプリカが出たので今でもパプリカは苦手です。

 

その後中学生になると一旦は落ち着いていたのですが部活動が原因で腰を負傷し、運動ができなくなりました。(このことについてはまた記事を書くつもりです。)

動くことでしか自分の価値を見出せなかった自分にとっては走れないということが大打撃で不眠ぎみになったりご飯が喉を通らず毎食少しのお米とほんのちょっとのお野菜しか食べれなくなりました。肉や魚など噛むという行為に恐怖と不安を感じると言った感じでしょうか。

 

この時に会食恐怖症になり、2人以上での食事がほとんどできなくなりました。(子どもを産んだことでびっくりなことに治りました!)

 

 


 

このように、特定のこれが原因とは言えませんが色んなことが積み重なってパニック障害になりました。

中学生の時が1番酷かったのでそれを考えるとかなり良くなったなと感じています。

まだまだ完全に治るということにはほど遠いです。

私の場合症状が他人には分からないものなので完治することはできないかもしれません。

それでも飛行機に乗って旅行したりまたひとりで電車に乗って観光地に行ったりもしたいです。

だからこそ強い気持ちでこの病気に向き合おうと思えるのです。

 

この記事を読んでくれたパニック障害を持っている人と一緒に治療を前向きに頑張っていけたらなと思っています。

ご覧いただきありがとうございました!!

シングルマザーのお仕事事情

22歳、シングルマザーのお仕事についてお話したいと思います。

と言っても現在、無職。

職なし、子あり、バツイチ、パニック障害・不安症持ち。なんて心配になってしまうワードが並びますが両親のおかげで私も子どもも毎日健康に生きています。

 

もう2か月ほど自宅近辺でお仕事を探しているのですがなかなか決まりません!!

 

シングルマザーであること、パニック障害であることを伝えると微妙な反応をされることがありそのたび面接の途中で「あーやっぱりだめそうだなー。」と思ってしまいます。😢

 

シングルマザーであると保育園から呼び出しの可能性があるということ、19時以降に働くことができないので面接をする前にお断りとされてしまうところもありました。

 

パニック障害については言わずもがな。あまり症状が出ないにしても雇う側からしたらこんな面倒な人よりも健康で気力に充ちている人を採用しますよね。

つまり私が採用してもらえる確率はかなり低いわけで、、

 

こんなことを言ってもなにも生まれないことは分かっているのですがこのまま母親として子どもを元気に育てていけるのか不安になってしまいます。


 

先週面接を受けた企業から、お返事に少し時間がかかると言われもうすぐ一週間。

かならずお電話が来るということは理解しているのですが不安でなりません。

良いお返事がいただけると信じて待っていようと思います。

 

不安と共に歩む:パニック障害の突破口を探る

パニック障害になって辛かったことはもちろん発作が起きている時もですがそれだけではないのです。

人それぞれ症状は違います。あくまで私の話ということをお忘れなきようお願いいたします。

 

まず、私が辛かったことは大好きな世界史の授業が一瞬にして地獄になるということです。

元々日本の歴史、特に戦国時代の単元が好きだったのですが、中学・高校と良い先生に出会えたおかげで歴史好きに拍車がかかっていきました。

そんな中、高校で世界史を担当してくださった先生は映像や写真を授業で用いることがあり、戦時中の映像をみることが少なくありませんでした。

やはり戦争の映像というのはショッキングなものですから怖いという感情から発作が出てしまうのです。

その先生を悪く言うわけではありません。

その授業形態が悪いとも思っていませんし、憎んだりもしていません。ただ、自分の耐性のなさに嫌気がさすのです。

結局は自分が我慢できないせいだ。今日は一回ドキドキしたから次の授業は大丈夫。と思うのですがこの発作に回数は関係ないので1日に数回起きることもあれば全く起きないこともあります。(この時、パニック障害であることを知らなかったのでドキドキと呼んでいました。)

 

 

次に辛かったのはディズニーランドやシーに行った時に心の底からアトラクションを楽しめないことです。

小さい頃から年に一度は家族でディズニーへ行ってました。

いつからアトラクションに乗るのが怖くなっていたのか覚えていません。そもそも怖いという感情はきっと楽しみすぎてドキドキしてるだけなんだ。と思っていたのでこれが発作であることには全く気付きませんでした。

アトラクションに乗る前に吐き気がしても、もちろん言えるわけがありません。気のせいだと思っていましたから。当然これらの症状はアトラクションが終われば治ります。やっぱり緊張していただけなんだと思うのは当然のことでしょう。

ディズニーランドという特別な空間だからこそ場を白けさせることは言いたくないですし我慢してしまいます。

 

辛かったこと2つを状況を具体的に想像しながら書いていきました。

どちらも実話で私自身の話です。

もちろん、吐いてしまう方やその場でうずくまってしまう方もいます。私の場合見た目で分かるような発作が全くないので他人に気付かれにくく理解されにくいです。全てを理解して欲しいなんて思いません。こういう人間もいるということを頭の片隅に置いて欲しいだけなのです。

 

 


 

 

こちらの本はパニック障害と診断されたときに購入したものです。

家族や友達など身近な人がパニック障害を患っているという方にもおすすめです。

 

パニック障害は不安症を併発することが多いと思うので不安症の本もチェックしてみてください。


 

 

みんなでパニック障害・不安症を克服しましょう!